Java Computing 2005 Spring


Java Computing 2005 Spring に行ってきました。

J2SE5.0 Tiger の技術に関しては、すでにチェック済みなので目新しい技術トピックはあまりないんでその目的ではなくて、業界動向がらみを中心にみてきました。
ついでに六本木ヒルズ展望台 と、森美術館 の展示を見てきました。

追記:
関連する星 暁雄さんの記事
「Javaは失敗プロジェクトから生まれた」
http://itpro.nikkeibp.co.jp/members/NBY/techsquare/20050126/155306/

EJB3.0に関してですが、軽量DIコンテナが標準で搭載されるためその機能によってPOJOをEJBとして動作させることができます。
思うに、このこの方法が普及したときには、プログラマはたしかに楽になるだろうなぁ〜ということ。
われわれアーキテクト分野の仕事は、ちゃんとやらないとへんなことになりそうな予感があります。 早めにEJB3,0の設計ノウハウを固めて行きたいという思いを強くしました。

あとはSOAが花盛りですが、実は自分的にはSOAをつかったビジネスモデルが大きく成功するとはどうしても思えないんです。 新しいビジネス展開やコンピューティングのパラダイムシフトというレベルの技術ではないように感じます。
まぁ、よく分かっていないエンドユーザーさんに新しい単語をならべてだまくらかして、仕事にすることはできるかもしれませんけど。(笑)


なんといっても一番面白かったのは日経BPでJava関連雑誌の編集をやってこられた星 暁雄さんのセッション「Java記者が見た10年史の試み 」です。

1995年にJavaが発表になったわけですが、そこにいたるSUNの動きはとてもおもしろいです。

SUNのやり方に疑問をもったエンジニアが辞表を出す直前に、偶然会長と食堂で話したのをきっかけにして、なんでも自由にやっていいということで開始されたのがホームオートメーションという家電への参入のとりくみで、そのプラットフォームを日本の家電メーカーに売り込むがことごとく断られて、今度はビデオオンデマンドのセットップボックスに参入しようとするがそれもだめ。
これらの環境で動作する実行環境、言語がJavaの前身であるOakであるわけです。
また、SUNホームオートメーションのユーザーインターフェースにでてくるエージェントのデザインがいまのJavaのマスコットであるデュークであるそうなんです。
テレビのアニメーションのようなカートゥーンベースのエージェントユーザーインターフェースだった訳です。

このときのエンジニアの一人のジェームスゴスリンが、ことごとく失敗したプロジェクトのなかで首の皮一枚でつながっていたようなときに、暇だったのかOakを拡張してJavaを作り、HTTPのレイヤーをつくって今のHotJava と呼ばれるWebブラウザーを開発したんです。
JavaでできてるWebブラウザーですから、クラスファイルをよみこめば、簡単なプログラムを実行させることは容易で、というより自然で、これがアプレットというコンセプトになっていったそうです。

そのころwebブラウザーの主流はネットスケープで、SUNはネットスケープと提携したいがためにJavaの技術をネットスケープに供与し、アプレットがネットスケープで実行できるようにしました。
これがJavaが公に発表されるきっかけだったわけです。

おもしろいのは、マイクロソフトがこのネットスケープに対抗するためにIEでJavaを実行できるようにするためにJavaをWindows に標準搭載しました。 例によってJavaの独自実装をかってにいれたことによってSUNとの長い法廷闘争が始まった訳です。

私は、JavaがでたときにJava研究会をつくったわけですが、1996年にJavaの1,1がでたという話を聞いて、過去に私たち仲間で1,1からAWTのイベントモデルが変わる、どうなってるんだとか騒いでいたのを思い出すと、ほぼ発表から1年以内にJavaとの関わりをスタートしていたんだということが分かりました。

当時Java1.0はパッケージは6つしかなく、結構すぐに覚えることができたんです。 現在の山のようにあるパッケージを見るとほんとうに驚きを隠せないです。
それからJava1,1になってイベントモデルが変わって、Java1.2はJava2と名称を変え、SUNはずっと反対していたんですが、IBMが提案していたJ2SE,J2EEという名称をしぶしぶ採用して、現在にいたるわけです。



Posted: 土 - 3月 12, 2005 at 04:14 PM      
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